競馬キャスター・大澤幹朗氏がお届けする、知れば競馬の奥深さがより味わえる連載『競馬キャスター大澤幹朗のココだけのハナシ』。
今回のテーマは「午」と「馬」について。
皆さま、明けましておめでとうございます。今年は「午(ウマ)年」。競馬を愛する私たちにとっては特別な1年になりそうですが、そもそも、なぜ「午」を「ウマ」と読むのかと疑問に思ったことはありませんか?
「午年」最初の今回は「午」と「馬」について取り上げたいと思います。
「午」は十二支の1つで、「子」から数えて七番目にあたります。紀元前16世紀の古代中国では十二支の原形が使われ始め、紀元前5~3世紀の戦国時代に、暦や時刻、方位の表現に用いられるようになったそうです。
私たちの住む日本でも、西洋から太陽暦が導入される前の江戸時代までは、1日24時間を十二支で12の刻に分けていました。午前0時を中心に前後2時間(午後11時~午前1時)が「子の刻」、お昼の12時を中心に前後2時間(午前11時~午後1時)は「午の刻」でした。
この「午の刻」に由来して、12時は「正午」となり、これを境に「午前」「午後」と言うようになったのです。
この「午」という字は、餅つきに使われる「杵」に関係しています。上に振り上げて一気に下ろす杵は太陽の動きに似ていることから、太陽が最も高い位置になる場所(南)や時間(正午)を「午」で表すようになったのだということです。
さて、紀元前3世紀の秦の時代、時や方位を表す十二支を農耕民がイメージしやすくなるようにと、それぞれに動物を当てはめるようになりました。「子」には鼠、「丑」には牛といった具合に当てられ、「午」は馬となりました。太陽が最も高くエネルギーに満ちた時刻には、俊敏で力強い「馬」を当てはめたのです。
つまり、十二支の動物は「後付け」のイメージであり、日本では「午」を「ウマ」という風に訓読みしてしまったため、一体のものと理解されるようになりました。「午」は「牛」の角を取ったから馬になったのだというのは「ウマい」話だとは思いますが作り話です。
十二支に12の動物を当てはめる習慣をアジアや中東、トルコにまで広めたのは、13~17世紀にかけて「元」と呼ばれたモンゴル帝国だとされています。日本では「未」はヒツジですが、中国ではヤギだったり、日本ではイノシシの「亥」は、ブタだったりゾウだったりリクガメだったりと、国によって多少の違いがあるようですが、「午」だけは「馬」で共通しています。馬と人の関係の深さが世界共通であることの表れでしょう。
ところで、「干支」は「十干(じっかん)」と「十二支」の組み合わせです。「十干」は、甲、乙、丙、丁・・・と、10のまとまりで数える符号で、十干と十二支の組み合わせである「干支」は60通りあります。このうち、十干の「甲」と十二支の「子」を組み合わせた干支が「甲子(きのえね)」です。60年に1度訪れる十干十二支の最初の年「甲子」に当たる1924年に出来たのが「甲子園球場」です。
今年2026年は、十干十二支の43番目「丙午(ひのえうま)」に当たります。十干の「丙」は「木、火、土、金、水」という世界を構成する五行の「火」に属しており、太陽のような激しい熱を表しています。一方、「午」もエネルギーに満ちた力強さの象徴。つまり「丙午」の今年はとにかくエネルギーが強い年と言えます。ぜひ、活発で前向きに、馬のように1年を駆け抜けたいですね。
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