東京オリンピックが閉幕しました。私はNHKのEテレで夜に放送されたオリンピック中継内で、競技の実況を受け、結果の振り返りやハイライトVTRの振り、視聴者からのメッセージ紹介、次に放送する競技の見どころの紹介といった「影アナウンス(音声だけのアナウンス)」の仕事を連日、やらせていただきました。
15日間の勤務の中で特に思い出に残ったのは、大会も大詰めの8月6日です。当初、日中に予定された女子サッカーの決勝戦が猛暑のために夜時間に変更になった影響で、元々夜時間に組まれていた男子サッカーの3位決定戦が2時間前倒しのキックオフとなりました。
日本代表の53年ぶりの銅メダルがかかっていた試合ですから、当然、総合テレビで放送する予定だったのですが、急の変更で調整がつかず、サブチャンネル的立場のEテレで放送することになったのです。
その結果、男子サッカー3位決定戦放送中の平均視聴率は、Eテレでは極めて異例の13.45%と、横並びトップの数字となりました。それだけ多くの方にご覧いただいていた中で、ハーフタイムと試合終了後にしゃべらせていただいたわけですが、皆さんご存知の通り、試合結果は敗戦。
勝って「メダル獲得おめでとう!」ならば、それほど難しくはありませんが、劣勢のハーフタイム、敗戦の試合後を“受ける”のは簡単ではありませんでした。その中で、私なりに言葉を紡ぎ、何とか視聴者の皆さんに寄り添うことが出来たかなと思えたのは、他でもなく、競馬中継での経験があったからだと思います。
“受ける”難しさを初めて体感したのは、忘れもしない1998年11月1日。当時、岩手放送・2年目のアナウンサーだった私は、ラジオの岩手競馬中継内で、東京の放送局が中継している天皇賞・秋のレース実況を振って受ける仕事をしていました。言わずもがな、このレースは、サイレンススズカの出来事があったレースです。
正直、この時どう受け何をしゃべったのか思い出せません。それほど動揺していました。ただ、「私が選んだ仕事は、こういう時も何か言葉を紡がなければいけないのだ」と思い知らされました。
グリーンチャンネルのキャスターとしては、この時の経験も生きています。特に海外中継では、オルフェーヴルの凱旋門賞・2着、オーナーの死後にアドマイヤマーズが勝った香港マイルなど、むしろ言葉は要らないのではないかと思うことも多いです。でも、しゃべらないと進行できない。因果な仕事と感じることもありますが、そういう仕事なのです。
また、長くやっていると、あらゆる難しい状況下にも直面させていただきました。馬インフルエンザ、競走馬の薬物問題、震災、騎手の訃報、コロナ・・・。本当に鍛えられています。
でも、私はプロとして、逃げることだけはしたくないと思っています。偉そうなことをいうのではなく、しっかりと自分なりの心と言葉で、受けようと思っています。これらのことは、いつかまた、お話する機会があると思います。