この1週間も、ダートで才能が開花した鬼脚の追い込み馬ブロードアピールと1999年のオークス馬ウメノファイバーという名牝2頭の悲しい報せが相次ぎました。前回、名馬たちの記録や記憶を若い世代に伝えていく大切さについて書きましたが、今回は、そんな悲しい報せ=名馬の死の表現の仕方について取り上げます。
前回、私はドゥラメンテの死について「この世を去りました」と表現しましたが、他のメディアなどは、どんな言葉を使って伝えていたのでしょうか。
JRAホームページ内9月1日付けのJRAニュースは「死亡したとの連絡がありました」と「死亡」という表現を使っています。また、その中での関係者のコメントには「早逝」や「訃報」という表現が使われています。
これに対し共同通信は「死んだ」、スポーツ各紙は見出しでは「死す」文中では「死んだ」と書いています。これらメディアはJRAの広報発表を受けて報じているので、JRAの「死亡した」という表現を「死んだ」という表現に変えていることになります。
皆さんはそれぞれの表現をどう感じますか?そして、同じ「死」を伝えるのに、表現が異なるのは何故でしょうか。
NHK放送文化研究所発行の『放送研究と調査』2016年6月号によると、「死亡」という言葉は、三省堂国語辞典など一部を除き「人が死ぬこと」としていて、対象を「人」としています。ちなみに三省堂では「人や動物」としています。一方「亡くなる」という表現の対象は「人」としているところが多く、「人や動物」としているところはないそうです。
また「死去」は「人が死ぬこと」、「逝去」は「死去の尊敬語」、「訃報」は「死亡のしらせ」とされています。
このように、「死」についての表現が「人」に限定する言葉が多いため、日本語の表現に慎重であるマスメディアは、馬の死に際して「死亡」などの表現を使っていないのです。
しかしながら、たくさんの思い出や思い入れのある競走馬たちに対して「死んだ」と伝えるのは少し冷たく感じます。かと言って、正しい日本語を使うことを求められる立場上、「人」とまったく同様の表現でいいかというと、それも少し違う気がします。
「死んだ」「死亡した」よりも適切な表現はないのだろうか。しっくりくる表現を実は、ずっと探していました。そんな時、動物たちにも「あの世」があるという話を聞きました。以来、私は「名馬の死」に際して「この世を去りました」と表現しています。