今月上旬、サッカーのお仕事で札幌に出張した帰り、新千歳空港からほど近いノーザンホースパークに寄ってきたのですが、ちょうどディープインパクトの母として名高いウインドインハーヘアが放牧中で、元気そうな姿を拝見できました。
▲ポニーたちと戯れるウインドインハーヘア(6/3撮影)
ウインドインハーヘアは1991年2月20日、アイルランド生まれ。父はリファールの直仔Alzao(アルザオ)、祖母はエリザベス女王の自家生産馬で、英1000ギニーやディアヌ賞(仏オークス)を勝ち、キングジョージVI世&クイーンエリザベスDSでは世界的女傑Dahlia(ダリア)の2着という名牝Highclere(ハイクレア)という血統で、競走馬時代はクールモアが所有し、ジョン・W・ヒルズ調教師が管理しました。
3歳時の英オークスで、のちの愛ダービー馬Balanchine(バランシーン)の2着という結果を残しますが、その後は不振が続き、4歳で繁殖入り。日本でも供用されたアラジと交配し受胎します。ところが妊娠中のまま現役を続行し、その年の8月、ドイツの芝2400mのGIアラルポカルで、Monsun(モンズーン)、Kornado(コルナド)らドイツを代表する実力馬たちを相手に快勝。妊娠中にGI競走制覇という極めて珍しい記録を打ち立てました。
引退後、アイルランドやアメリカで繁殖生活を送ったウインドインハーヘアは、アラルポカルを勝った時お腹にいた初仔のグリントインハーアイをはじめ、ヴェイルオブアヴァロン、外国産馬として日本で走ったレディブロンド(帝王賞勝ち馬ゴルトブリッツの母、ダービー馬レイデオロの祖母)、スターズインハーアイズ、ライクザウインドと、産駒は5番仔まで牝馬が続きました。
1999年、スターズインハーアイズ出産後にライクザウインドを宿した状態で来日し、ノーザンファームで繋養されることになったウインドインハーヘアは、2001年に初めて牡駒を出しました。そのブラックタイドはスプリングSを勝利し、父としてキタサンブラックを輩出。そして2002年、ブラックタイドと同じくサンデーサイレンスとの間に生まれたディープインパクトは、競走馬、種牡馬として日本競馬史上に燦然と輝く偉大な名馬となりました。
ウインドインハーヘアは、2012年にキングカメハメハ産駒の牝馬レスペランスを出産した後、繁殖を引退。余生を送っていたノーザンファームからノーザンホースパークに移った理由は、母馬のいない仔馬のお母さん役として呼ばれたからなのだそうです。依頼された仔馬の子育てが終わった後もノーザンホースパークで繋養されているウインドインハーヘア。私が会った日も、体の大きさがだいぶ違う馬たちと、優しい眼差しで戯れていました。
小さな体ながら妊娠したままGIを勝つという破天荒な競走生活を送り、母として日本競馬の歴史を大きく変えたウインドインハーヘア。御年31歳。高齢ながら、その姿は気高く、気品に溢れていました。
2022/06/16 (木)
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大澤幹朗
1973年9月22日生まれ。千葉県出身。IBC岩手放送アナウンサー時代に岩手競馬のレース実況に携わり、メイセイオペラら名馬と出会う。2003年にフリー転身後、2006年よりグリーンチャンネル中央競馬中継キャスターに。2013年からは凱旋門賞など海外中継も担当。そのほか、WOWOWヨーロッパサッカー実況アナウンサーとしても活動中。
