1000m57.4秒のハイラップで後続に10馬身以上の差をつけて逃げたパンサラッサを、3歳馬イクイノックスが上がり32.7秒の末脚で最後に捉えるという記憶に残るレースとなった天皇賞(秋)。そんな名勝負が行われた48年前の同じ10月30日、現在のコンゴ民主共和国の首都キンシャサでプロボクシングの世界統一ヘビー級タイトルマッチが行われました。
今回は、のちに「キンシャサの奇跡」と呼ばれ、あの馬の名前の由来となった伝説の試合についてのハナシです。
王者は25歳のジョージ・フォアマン。「象をも倒す」といわれたパンチで24連続KO勝利中。戦績は40戦40勝(37KO)という圧倒的な成績でした。一方、挑戦者モハメド・アリは7歳上の32歳。「蝶のように舞い、蜂のように刺す」スタイルで22歳の若さでヘビー級チャンピオンになるも、ベトナム戦争への徴兵を拒否したことから王座を剥奪され、3年7カ月というブランクを余儀なくされました。復帰後は初のダウンを喫するなど衰えが見られ、「全盛を過ぎた」というのが大方の見方でした。
3分15ラウンドで行われた試合は、第2ラウンドからフォアマンが攻勢。第4~5ラウンドには猛攻となり、アリはロープにもたれながら防戦一方でした。ところが、これは相手のパンチを腕でブロックしながらフォアマンの体力を消耗させるというアリの作戦で、アリはこの戦法を“rope a dope”と名づけました。
第6ラウンド以降、徐々に疲労が目立ち始めたフォアマンをアリが反撃。第8ラウンド残り16秒、右左の連打をフォアマンに浴びせると、アリの右ストレートがフォアマンの顎を直撃し、フォアマンはもんどりうってダウンしました。そのままKOとなりアリが劇的勝利。「キンシャサの奇跡」が起きたのです。
このビッグマッチがキンシャサの地で行われたのは、双方に500万ドルずつというファイトマネーをプロモーターのドン・キングがアメリカ国内では用意できず、当時のザイールで独裁政権を築いていたモブツ・セセ・セコ大統領に国威発揚と自身の人気に繋がると口説いて開催したからでした。
黒人アメリカ人同士による一戦でしたが、地元ザイールの国民は徴兵拒否というアメリカの国家権力に反抗したアリを第三世界のヒーローとして歓迎する一方、フォアマンは完全なヒール扱い。「アーリッ・ボマ・イェ!(アリ、殺っちまえ!)」というチャントでアリを応援しました。
「キンシャサの奇跡」から2年後、モハメド・アリと格闘技世界一決定戦を戦ったアントニオ猪木は、このチャントからアリの自伝映画用に作られた曲「Ali Bombaye」を譲り受け、「炎のファイター INOKI BOM-BA-YE」として入場曲に使用。日本でも誰もが知る曲となりました。
アリは2016年に死去。そして今年、アントニオ猪木さんも帰らぬ人となりました。
競馬も格闘技も大好きな私は、馬名「キンシャサノキセキ」を見るたびに、脳内に「INOKI BOM-BA-YE」が流れ、「キンシャサの奇跡」を想起するのです。
2022/11/03 (木)
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大澤幹朗
1973年9月22日生まれ。千葉県出身。IBC岩手放送アナウンサー時代に岩手競馬のレース実況に携わり、メイセイオペラら名馬と出会う。2003年にフリー転身後、2006年よりグリーンチャンネル中央競馬中継キャスターに。2013年からは凱旋門賞など海外中継も担当。そのほか、WOWOWヨーロッパサッカー実況アナウンサーとしても活動中。