競馬キャスター・大澤幹朗氏がお届けする、知れば競馬の奥深さがより味わえる連載『競馬キャスター大澤幹朗のココだけのハナシ』。
今回のテーマは3日(日)に行われるアイビスサマーダッシュに関連して「カルストンライトオのハナシ」。
3日、新潟競馬場でアイビスサマーダッシュ(GIII)が行われます。
2001年、新潟競馬場に日本初となる直線1000mの芝コースが誕生したのにあわせて新設された、中央競馬唯一の直線コースのみの重賞競走。英語で新潟県の県鳥であるトキのことを指す「アイビス(Ibis)」と名付けられたレースは、夏の新潟に欠かせない名物レースです。
今年で25回目を数え創設から四半世紀になろうとしているアイビスサマーダッシュ。その歴史の中で「最も印象深い勝ち馬は?」と聞かれたら、多くのファンが、第2回(2002年)と第4回(2004年)の優勝馬「カルストンライトオ」の名前を答えることでしょう。
なかでも、2002年の第2回アイビスサマーダッシュの優勝タイム「53秒7」は、23年経った今も破られぬ芝1000mの日本レコード。外ラチ沿いを先頭で飛ばしていたカルストンライトオが600~800mの1Fでマークしたラップタイムは9秒6で、これを時速に換算した「75.0km/h」は日本競馬史上の最高速度とされています。(2024.9.26公開「競走馬の時速」参照)
2歳から7歳まで走り、生涯成績は36戦9勝。デビュー以来、抜群のダッシュ力を武器に、出走したレースのほとんどでハナを譲らなかった快速馬でした。
4歳時の2002年にアイビスサマーダッシュを驚異のレコードで勝利した後は、2桁着順を繰り返すなど調子を崩していましたが、6歳になった2004年のアイビスサマーダッシュで復活の勝利を挙げました。
するとその勢いのまま、続くGIスプリンターズステークスでは2着のデュランダル以下に4馬身差をつけ圧勝。アイビスサマーダッシュとスプリンターズステークス双方を勝利した馬はカルストンライトオのみです。
父は現役時の1980年代後半にサセックスS、クイーンエリザベス2世S、クイーンアンS(当時G2)の英国のマイルG1を3勝したウォーニング。種牡馬になった後は日本でも繋養され、カルストンライトオより1歳下のサニングデールは2004年の高松宮記念を制しました。2004年の国内スプリントGIは春秋ともにウォーニングの産駒が優勝を果たしたのです。
このウォーニング、日本でしばらく途絶えていたマンノウォー系の種牡馬でした。サイアーラインを辿ると、日本をはじめ世界的にも数少ないマッチェム、ゴドルフィンアラビアンに遡る血は貴重なものでしたが、カルストンライトオやサニングデールから後継種牡馬が出なかったのは残念でした。
さて、「カルストンライトオ」という馬名はどんな意味、由来があったのでしょうか。
カルストンライトオを北海道サマーセールで購入したのは建築会社の社長だった清水貞光さんでした。オーナーが本業で使う「軽石」から「カル(軽)ストーン(石)」、「貞光」の「光(ライト)」と「王」で「ライトオー」となり、「カルストーンライトオー」となるところを文字数制限で「ー」を除いた・・・というわけです。
ちなみに、この清水貞光オーナー、キタサンブラックの調教師として知られる清水久詞調教師の父です。
カルストンライトオをデビュー時に管理していたのは大根田裕也調教師でしたが、2002年の定年引退後は息子の大根田裕之調教師が管理しました。複数のジョッキーがコンビを組みましたが、2度のアイビスサマーダッシュ優勝とスプリンターズSでのGI制覇はいずれも大西直宏騎手の手綱。「カルストンライトオと言えば大西騎手」でした。
そんなカルストンライトオは去年(2024年)の2月7日、老衰のため繋養されていた日西牧場でこの世を去りました。26歳でした。それから7か月半後の9月29日、最期まで面倒を見ていたという清水貞光オーナーが80歳で亡くなりました。
3歳時3着、4歳時1着、6歳時1着、7歳時4着。アイビスサマーダッシュは4度出走して、2度の優勝と不滅のレコード樹立という「記録」と「記憶」を残したカルストンライトオ。今年のレースも新潟の夏空のむこうから人馬を見守ってくれているに違いありません。