競馬キャスター・大澤幹朗氏がお届けする、知れば競馬の奥深さがより味わえる連載『競馬キャスター大澤幹朗のココだけのハナシ』。
今回のテーマは「フォーエバーヤングが制したブリーダーズカップクラシック」について。
フォーエバーヤングが先頭でゴールを駆け抜けた瞬間、今年のブリーダーズカップを全米に放映していたNBCテレビの実況アナウンサーは拳を振り上げ叫びました。
Celebrate Japan ――!
日本競馬界にとって、ダート競馬の最高峰「ブリーダーズカップクラシック」への挑戦の始まりは今から29年前の1996年でした。藤沢和雄調教師が手掛け、岡部幸雄騎手が手綱をとったアメリカ産馬タイキブリザード。父はケンタッキーダービー馬シアトルスルー、兄はBCターフ優勝馬シアトリカルという血統馬でした。
その最初の挑戦は5歳時。前年に宝塚記念と有馬記念で2着、前走の安田記念も2着という戦績で、カナダ・ウッドバイン競馬場で行われたレースに挑みましたが、3コーナー過ぎの勝負所でスピードについていけず13頭中最下位。勝ったアルファベットスープからは26馬身以上の差をつけられました。
翌1997年、安田記念を制しGI馬となった6歳のタイキブリザードは、ハリウッドパーク競馬場で行われたBCクラシックに再び挑戦しました。しかし、スピードで押し切って勝利したスキップアウェイから23馬身以上離された9頭中6着。「スピードについていけない」という現実を目の当たりにさせられました。
それから7年後の2004年には、山内研二調教師が管理し、その年にダート重賞エルムSと盛岡のダートGI・ダービーグランプリを制していたアメリカ生まれの3歳馬パーソナルラッシュが挑みました。ローンスターパーク競馬場で行われたレースでの鞍上はL・デットーリ。13頭立ての5番手からレースを進めましたが、直線で力尽き、優勝馬ゴーストザッパーから11馬身3/4差の6着でした。
2008年は、再び藤沢和雄厩舎のアメリカ産馬がBCクラシックに挑みました。半兄にベルモントS勝ち馬ジャジル、半姉に同じくベルモントSを制していたケンタッキーオークス馬ラグストゥリッチズがいるカジノドライヴは、京都での新馬戦を勝利後、兄姉が制したベルモントSを目指して渡米。K・デザーモ騎手を背に前哨戦のG2・ピーターパンSを制し、日本調教馬初の米国ダート重賞勝利を果たしました。
しかし、本番のベルモントSは直前の挫石で取り消し。秋に再渡米してサンタアニタパーク競馬場で行われたBCクラシックに挑みました。V・エスピノーザを背にカジノドライヴは果敢に逃げましたが、3コーナー過ぎに馬群に飲み込まれ、勝ったレイヴンズパスから20馬身以上離された12頭中最下位に終わりました。
チャーチルダウンズ競馬場で行われた2010年のBCクラシックの関心は、それまで19戦19勝と無敗を誇り、20戦目のここがラストランとなる歴史的名牝ゼニヤッタ1点に集中していました。このレースに日本から挑んだのは、ここまでダートGIを5勝していた5歳馬エスポワールシチーでした。
主戦の佐藤哲三騎手が手綱をとったエスポワールシチーは、4頭が競り合って例年にない速い流れを作った先団グループに加わって後続集団を引き離しました。4コーナーで一瞬、先頭に立ったエスポワールシチーでしたが、12頭中10着。ゼニヤッタがブレイムに差し届かずキャリア唯一の敗戦を喫したレースで、日本産馬として初めてBCクラシックに挑んだ日高生まれの栗毛馬の果敢な走りは胸を打ちました。
このあと日本調教馬がBCクラシックに挑戦するまで、13年ものブランクが空きました。しかし、この間に日本の競走馬は確実に力をつけ、関係者の海外遠征の経験値も格段に向上していました。
2023年、サンタアニタパーク競馬場で行われたBCクラシックに挑んだのは、その年、ダート施行のドバイワールドカップを日本調教馬として初めて制していたウシュバテソーロと、同じ日にUAEダービーを制していたデルマソトガケの2頭。ウシュバテソーロは本来の末脚を見せることができず12頭中5着に終わりましたが、ケンタッキーダービーでアメリカの馬場を経験していたデルマソトガケは一旦置かれそうになりながらしぶとく脚を伸ばして勝ち馬ホワイトアバリオと1馬身差の2着。間違いなく、日本競馬がそれまでに見たことがない光景がそこにはありました。
2024年、デルマー競馬場で行われたレースには、日本から前年出走の2頭に加え、ケンタッキーダービーで3頭による歴史的大接戦を演じ3着に入っていたフォーエバーヤングが参戦しました。包まれやすく鬼門とされる1番ゲートからの競馬となり、後方からの競馬を余儀なくされたフォーエバーヤングは、直線で追い込むも、またもや3着でした。
しかし、遥か彼方、雲の上のようにも思えたダート競馬の世界最高峰の頂きは、29年後、いつのまにか手の届くところまで近づいていました。
そして、2025年。陣営が自信をもって臨める仕上がりと、思い通りのゲート番。勝つ時というのは、こういうものなのでしょう。
「ウマ娘」というカルチャーを通じて日本競馬に新たなフェーズを見せてくれたオーナー、信念と努力に裏付けられた革新的な戦略で世界の重い扉を開けてみせたトレーナーとチーム、そこから世界にはばたいた28歳のジョッキー、そして、日本一の生産牧場・・・。表彰式での関係者たちの弾ける笑顔を見ながら、それは日本競馬の歴史そのものだなと思ったのは、私だけではないと思います。
おめでとう! フォーエバーヤングと関係者の皆様。おめでとう! 日本競馬――。
Celebrate Japan!
