競馬キャスター・大澤幹朗氏がお届けする、知れば競馬の奥深さがより味わえる連載『競馬キャスター大澤幹朗のココだけのハナシ』。今回のテーマは「“オークス”のハナシ」です。
19日、東京競馬場で「優駿牝馬(オークス)」が行われます。
創設されたのは1938(昭和13)年。東京優駿(日本ダービー)創設から6年後のことで、第1回のレースは「阪神優駿牝馬」として阪神(鳴尾)競馬場を舞台に行われました。
創設当初は秋に実施されていましたが、これは当時の日本の3歳牝馬が競馬先進国と比べて成長度に半年程度の遅れがあると考えられていたためで、1953(昭和28)年以降は諸外国と同じ春に実施されています。
また、鳴尾競馬場が海軍に接収された1943年は京都競馬場でレースが行われたほか、太平洋戦争による2年間の中止の後、1946年からは舞台を東京競馬場に変更し「優駿牝馬」という現在の名称になりました。
今年で85回目を数える「優駿牝馬(オークス)」。範をとったのは、もちろん英国の「オークスステークス」です。本家の「オークス」は、世界最古のクラシック競走「セントレジャーステークス」が創設されてから3年後の1779年に第1回のレースが行われ、今年で246回目を数えます。
1778年(日本では安永7年)、エプソム競馬場があるエプソムダウンズの樫(Oak)の木が茂る森にあった「オークス(Oaks)」と呼ばれる館で、ギャンブル好きの社交家だった第12代のダービー卿エドワード・スミス・スタンレーは、親友でジョッキークラブの幹部だったチャールズ・バンベリーや、劇作家でもあったジョン・バーゴイン将軍ら英国貴族を集めて酒宴を開いていました。
彼らは、バーゴイン将軍の戦友だったセントレジャー大佐がドンカスターに創設した3歳馬限定の競走セントレジャーに刺激を受け、3歳牝馬のレースを設立しようと思い立ちました。距離はセントレジャーの2マイルより短い1マイル半、レース名は館の名前に因んで「オークス」と名付けました。
翌年に行われた第1回の「オークスステークス」は、ダービー卿が所有するブリジッドが制しました。この祝勝会の時、ダービー卿やバンベリーらが「来年からは3歳馬限定で牡馬も牝馬も出走できる1マイルのレースをやろう」と盛り上がったのが「ダービーステークス」創設のきっかけです。
「ダービーステークス」は創設から4年は距離1マイルの競走でした。また、レース名を「ダービー」にするか「バンベリー」にするかをコイントスで決めたという逸話も有名です。
いずれにせよ「ダービーステークス」より1年早く創設され、「ダービー」創設のきっかけとなったのが本家の「オークスステークス」です。
そんな「オークスステークス」に倣って、英国各地をはじめ、日本など世界各国で「オークス」と名の付く牝馬限定のレースが行われています。
英国では、ヨーク競馬場の夏の「イボアフェスティバル」で行われる「ヨークシャーオークス」、アイルランドでは「アイリッシュオークス」、フランスのオークス「ディアヌ賞」、ドイツの「ディアナ賞」…。
一方、アメリカには「ケンタッキーオークス」「コーチングクラブアメリカンオークス」「アメリカンオークス」など、ダービー同様、各地に「オークス」がありますし、日本にも「関東オークス」というのもあります。
世界各地の「オークス」については、またの機会にまとめてみようと思います。