競馬キャスター・大澤幹朗氏がお届けする、知れば競馬の奥深さがより味わえる連載『競馬キャスター大澤幹朗のココだけのハナシ』。
今回のテーマは「100周年の甲子園球場と鳴尾競馬場」です。
今年で100周年を迎えた阪神甲子園球場で行われている第106回の全国高校野球選手権。日程が順調ならば本稿公開日の翌日には決勝戦が行われます。果たして深紅の大優勝旗はどのチームの手に渡るのでしょうか。
この夏は中央競馬でも7月末と8月頭の新潟競馬で真昼の暑い時間は中断し、競走時間帯を拡大する試みが行われましたが、全国高校野球でも試合を午前と夕方に分けて暑い時間を避ける2部制が試験的に実施されました。
1924年8月に完成し、同月に夏の全国高校野球(当時は全国中等学校野球大会)が初めて行われた甲子園。100年前は一体どんな夏だったのだろうかと思いを馳せたくなります。
1年前のコラムでは、全国高校野球選手権(全国中等学校野球大会)が1917年の第3回から甲子園が完成する前年1923年の第9回大会まで鳴尾競馬場の内馬場に設置した鳴尾球場で行われていたことや、甲子園球場誕生の経緯について取り上げました。(2023.8.3「鳴尾球場のハナシ」参照)
そこで今回は、国土地理院の地図や貴重な空中写真と、私が去年競馬場の跡地を訪れ撮影した画像を紹介し、100年前の夏へタイムスリップしていただこうと思います。
まずは、現在の甲子園球場と鳴尾浜周辺の地図です(国土地理院のウェブサイトより作成)。
▲甲子園球場と鳴尾浜周辺地図
続いて、同じく国土地理院のウェブサイトより1936年~1942年頃の同じ場所を空撮した写真を合成したものです。1924年に完成した甲子園球場と1943年に海軍に接収され飛行場となった鳴尾競馬場がともに存在していた貴重な期間の空中写真です。
▲甲子園球場と鳴尾競馬場の空中写真
現在の西宮市枝川町にある浜甲子園団地の憩いのスペースに鳴尾競馬場跡の記念碑が建てられています。
▲鳴尾競馬場跡記念碑
また浜甲子園運動公園(上の地図の「鳴尾浜公園」の文字の左上辺り)には、かつて鳴尾競馬場の内馬場にあった鳴尾球場の記憶を伝える石碑や記念のモニュメントが設置されています。
▲鳴尾球場跡地の石碑
▲“全国中等学校野球優勝大会開催の地”の記念モニュメント
▲鳴尾球場跡地の解説
甲子園球場誕生から100年。1世紀という歴史の重みに圧倒させられるとともに、競馬ファンにとっては、その誕生前に競馬と密接なかかわりがあったということには感慨深いものがあります。
▲阪神甲子園球場正面