競馬キャスター・大澤幹朗氏がお届けする、知れば競馬の奥深さがより味わえる連載『競馬キャスター大澤幹朗のココだけのハナシ』。
今回のテーマはアイルランドの若き調教師「ジョセフ・オブライエン」です。
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ジョセフ・オブライエン――。
彼の名前を聞いて、まず「エイダン・オブライエンの息子」と思い浮かべる人は多いでしょう。
言わずもがな、父エイダンはクールモアをバックにアイルランドのバリードイルを拠点とし、世界中の数多のビッグレースを次々と制してきた、現代を代表する名調教師です。
その息子ジョセフも父と同じ調教師の道へ進みました。しかし、33歳となった今、彼は単なる「エイダンの息子」ではありません。むしろ、この秋は「ジョセフ・オブライエン」という名前そのものが、世界の競馬ファンから注目されています。
ジョセフが最初に世界へ名前を知らしめたのは、調教師になる前でした。
16歳で騎手としてデビューすると、2011年にはロデリックオコナーで愛2000ギニーを制覇。2012年にはキャメロット、2014年にはオーストラリアで英ダービーを勝っています。
セントニコラスアビーとのコンビでも、コロネーションCを2度制したほか、BCターフ、ドバイシーマクラシックなどを勝利。2012年、2013年にはアイルランドのチャンピオンジョッキーにも輝きました。
しかし、身長180センチを超える長身だったジョセフにとって、騎手を続けることは決して簡単ではありませんでした。
そして2016年3月、22歳という若さで騎手を引退。第二の人生として、調教師の道を歩み始めます。そこで重要な意味を持ったのが、アイルランド南東部キルケニー州にあるオウニングヒルでした。
この場所を開拓したのは、ジョセフの母方の祖父ジョー・クロウリー。1970年代に自然の地形を生かした坂路を整備し、調教施設として発展させました。
その後、ジョーの娘アンマリーが厩舎を引き継ぎます。アンマリーは1992/93シーズン、アイルランド競馬史上初の女性障害チャンピオントレーナーとなった人物です。そしてアンマリーと結婚したのが、若きホースマンだったエイダン・オブライエンでした。
エイダンは1990年代前半、オウニングヒルを拠点に障害競走の調教師としてキャリアをスタート。その後、1996年に偉大な調教師ヴィンセント・オブライエンが引退すると、クールモアから後継者として迎えられ、バリードイルへ移りました。
やがてエイダンは世界のトップトレーナーへと成長していきます。一方、オウニングヒルはジョー・クロウリーの一族によって守られ続けました。
そして2016年。騎手を引退したジョセフが、この祖父ゆかりの地に「カリガノーグ・レーシング」を開業します。祖父が造った坂路を、今度は孫が調教師として使うことになったのです。
オウニングヒルの坂路は全長7ハロン、高低差80メートル以上にも及ぶウッドチップコースです。そこで鍛えられた馬たちは、強い心肺機能と体幹を身につけていきます。
そして、その成果を世界に示したのが世界最高峰の長距離G1・メルボルンカップでした。2017年、ジョセフは調教師免許取得からわずか1年半、24歳の若さでレキンドリングをメルボルンカップの勝ち馬へと導きます。
さらに2020年にはトワイライトペイメントで2度目の優勝。興味深いのは、この2回のメルボルンカップでいずれも2着だったのが父エイダンの管理馬だったことです。父がまだ手にしていないメルボルンカップを息子はすでに2度制しているのです。
メルボルンカップは、ジョセフにとって単なる海外遠征の成功ではありません。「エイダンの息子」だった若者が「ジョセフ・オブライエン」という名前を世界に刻んだ原点ともいえるレースなのです。
そして2026年。ジョセフは3度目のメルボルンカップ制覇を狙っています。今年は実に11頭をエントリー。ハンデキャップ発表の段階で、そのうち6頭が出走枠内に入るという、まさに大攻勢です。
なかでも注目されるのがハイウェイマン。9月12日の英セントレジャーをサフィー・オズボーン騎手とのコンビで制しました。今年で250回目の世界最古のクラシック競走は、初めて女性騎手が英クラシックを勝利したのでした。
ジョセフにとって英セントレジャー制覇は2020年のガリレオクロームに続く2度目でしたが、今年は2着にも管理馬のエンセラダスが入り、ワンツーフィニッシュまで決めてみせました。
ほかにも、8月の仏G2・ケルゴルレイ賞(芝3000m)を圧勝したディファイアントリー(セン4)や、G2・レッドシーターフH(芝3000m)や仏G2・モーリスドニョイユ(芝2800m)の勝ち馬サンズアンドラヴァーズ(セン5)、愛G2・カラカップ(芝14f)を勝ったトラストユアインスティンクト(セン6)、さらに去年のメルボルンカップの2着馬グッディートゥーシューズ(牝7)など、メルボルンカップの登録馬には長距離戦で実績を持つジョセフの管理馬がズラリ揃います。
そして、ジョセフ・オブライエン厩舎で、忘れてはならないのが3歳牝馬サンダリングオンです。フランケル産駒のこの馬は、英オークスで最後方から直線一気。道悪馬場をものともせず、他馬をまとめて差し切る圧巻の競馬を見せました。
母はジョセフ厩舎でG1・プリティポリーSを制したサンダリングナイツ。早くにこの世を去った母が残した唯一の産駒が、このサンダリングオンなのです。
9月13日のG2・ブランドフォードSでは、2着以下を8馬身以上引き離す圧勝。再びその末脚を見せつけました。この後は凱旋門賞への参戦が有力視されています。
牝馬、フランケル産駒、そして道悪を苦にしない――。凱旋門賞という舞台を考えたとき、非常に興味深いプロフィールを持った馬です。
もちろん、父エイダンも健在です。春にはクリスマスデーで英ダービー4連覇という驚異的な記録を達成。さらにコンスティテューションリバーで仏ダービー、ベンヴェヌートチェッリーニで愛ダービーを制するなど、今年も世界のクラシック戦線を席巻。この秋も、ミニーホークやダイヤモンドネックレスなどが凱旋門賞を見据えています。
世界最強クラスの馬を送り出す父と、祖父から受け継いだオウニングヒルを拠点に、独自の道を歩む息子。祖父ジョー・クロウリーが開いた場所を、母アンマリーが守り、そこでキャリアをスタートさせた父エイダン。そして、その土地に戻って調教師となったジョセフ。
三世代にわたるホースマンの物語が、2026年の秋、パリの凱旋門賞、そしてメルボルンのメルボルンカップという世界の大舞台で交差します。
この秋、オウニングヒルの坂を駆け上がったジョセフ・オブライエンの馬たちは、バリードイルの父エイダンの馬たちを相手に、どんな走りを見せるのでしょうか。
父を超える――。
父が偉大すぎるからこそ、それは簡単なことではありません。むしろ、超えるのは不可能にも思えます。しかし、この秋、凱旋門賞とメルボルンカップという二つの世界的舞台で、輝きを放つのは、息子ジョセフの名前かもしれません。
「エイダンの息子」から、「ジョセフ・オブライエン」へ。
33歳の若きトレーナーが、偉大な父とは異なる道で、世界の競馬史に自らのページを書き加えようとしています。
