競馬キャスター・大澤幹朗氏がお届けする、知れば競馬の奥深さがより味わえる連載『競馬キャスター大澤幹朗のココだけのハナシ』。今回のテーマは「『高松宮』のハナシ」です。
24日、中京競馬場ではGI・高松宮記念が行われます。
1953年に開設された中京競馬場は、1969年から1970年にかけ大規模な改築・改造工事が行われました。馬場はそれまでの砂馬場に替わって芝コースを新設し、従来の練習馬場をダートコースに改修。スタンドも5階建ての新スタンドに改築されました。
1970年10月26日の竣工式は高松宮殿下・同妃殿下をお迎えして盛大に行われ、新生・中京競馬場の誕生を祝いました。
高松宮殿下、すなわち、高松宮宣仁親王は、大正天皇の第三皇子で、昭和天皇の皇弟です。小学生の頃から乗馬をたしなまれたという殿下は、競馬場にもしばしば足を運ばれていたほか、ゴルフやスキーを楽しまれるなど、スポーツに対して高い関心をお持ちでした。
中京競馬の関係者は高松宮杯競走の設置をかねてから懇請していましたが、名古屋競馬株式会社の副社長を務めた人物が殿下と面識があったこともあり、懇願が実って優勝杯を賜ることになりました。
1971年6月27日、新設された芝コースの2000mを舞台に「第1回高松宮杯」が行われました。当日は高松宮殿下・同妃殿下をお迎えし、殿下は優勝馬シュンサクオーの関係者に賜杯を手渡されました。
以後、「高松宮杯」は夏の中京開催を飾る中距離の名物競走として行われ、グレード制が導入された1984年にはGIIに格付け。1996年には、短距離競走体系の改善に伴い、開催時期を5月に繰り上げ、距離を芝1200mに変更の上、GIに格上げされました。
中京競馬場初のGI競走となった春のスプリント王決定戦は、1998年に「高松宮記念」に改称。2000年からは3月の中京開催最終週に移設され、現在に至っています。
「高松宮」の名を冠した公営競技のレースには、競輪のGI競走「高松宮記念杯競輪」もあります。
かつての大津びわこ競輪場が近江神宮の外苑にあったことから、近江神宮に縁のある高松宮宣仁親王に賜杯の下賜を請願し承諾を得て、1950年に「高松宮同妃賜杯競輪」として始まりました。
1964年から1972年までは「高松宮賜杯競輪」、1973年から1997年までは「高松宮杯競輪」として行われ、1998年に現レース名に。2011年に大津びわこ競輪場が廃止になってからは持ち回りで毎年6月に行われています。
一方、ボートレースにも「高松宮記念特別」というGI競走があります。
1971年、大阪の住之江競艇場に高松宮宣仁親王が来場した際に、優勝した選手へ優勝杯を下賜されたことを記念して翌1972年から始まり、毎年9月から10月にかけて大阪・住之江競艇場で開催されています。
いずれもファンからは「宮杯」と親しみを込めて呼ばれているレースですが、1987年に高松宮宣仁親王が薨去され、また1997年に施行された皇室経済法の改正によって高松宮家より下賜の取りやめの申し出があったことから、存続が危ぶまれたこともありました。それでもレース名を改称するなどして、現在も各公営競技で「高松宮」の名を冠したレースが行われています。
高松宮殿下・同妃殿下には後継となる子孫がなく、2004年に高松宮妃の喜久子殿下が薨去されたことで、高松宮家は系統が途絶えることになりました。
歴史的には江戸時代前期に遡る皇族家の「高松宮」。宮家自体は廃絶してしまいましたが、中央競馬をはじめ各公営競技のビッグレースにその名を残し、今も多くの人々から親しまれ続けているのです。