東京競馬場の5週連続GIもいよいよラスト。日曜日は安田記念です。今年の安田記念は、レース名となっている「日本競馬の父」安田伊左衛門が1872年に岐阜県で生まれてから150年にあたることから、「安田伊左衛門生誕150周年記念」として行われます。
陸軍軍人だった安田伊左衛門は、日清・日露戦争で日本の軍馬が大きく劣っていると痛感し、競走を通じて日本産馬の資質向上につなげようと、競馬事業の法制化と東京競馬会の発足に尽力しました。馬券の売り上げを生産の資金にするために、1906(明治39)年、政府から馬券発売の黙許を得ると、池上競馬場での開催は大盛況となりました。
ところが、高額な賭け金や不正などが問題視されて、1908(明治41)年に馬券発売が禁止されます。経営の大打撃を受けた東京競馬会は、東京周辺の他の法人と合併し、1910(明治43)年、東京競馬倶楽部を設立。安田は1915(大正4)年に衆議院議員に当選し、馬券を復活させて競馬の隆盛を取り戻すために、競馬には「公正の保持」が最も大切と訴え、長きに渡って、競馬法の制定に心血を注ぎました。
1923(大正12)年、ついに旧競馬法が公布され馬券発売が可能になると競馬は活況を取り戻しました。すると安田は、15年間の馬券発売禁止で同時に衰退していた馬産地の活況につなげようと、イギリスに範をとったクラシック5大競走の創設に乗り出します。そして、1932(昭和7)年、安田が名誉会長を務める東京競馬倶楽部は、目黒競馬場で第1回東京優駿大競走を実施しました。
1936(昭和11)年に11の競馬倶楽部が合体し、統一された施行規則で公正競馬を行う日本競馬会が設立されると、2年後、安田は理事長に就任。1938(昭和13)年に阪神優駿牝馬(オークス)と京都農林省賞典4歳呼馬(菊花賞)が、翌年には中山4歳牝馬特別(桜花賞)と横浜農林省賞典4歳呼馬(皐月賞)が創設され、日本のクラシック競走が確立しました。
1943(昭和18)年、太平洋戦争により、馬券を伴う競馬は再び停止します。戦後復活しますが、1948(昭和23)年に安田が日本競馬会の理事長を勇退すると、GHQにより独占禁止法が施行され日本競馬会は解散。6年間、国営競馬が続いた後、1954(昭和29)年9月16日、日本中央競馬会が設立。初代理事長に安田伊左衛門が任命されました。
日本中央競馬会発足の3年前、安田の業績を讃えて、日本競馬史上初の古馬マイル重賞「安田賞」が創設され、東京競馬場の芝1600mで施行されました。安田は1955年に理事長の座を有馬頼寧に譲り退任。1958年オークス当日の5月18日、85歳で逝去しました。「安田賞」は、安田伊左衛門の多大な功績を讃え、この年から「安田記念」となりました。
東京競馬場のパドックにある大型ビジョンのスタンドから見て左下辺りに、安田伊左衛門の胸像があります。「日本競馬の父」は、今でも日本競馬を見守ってくれています。
安田伊左衛門のハナシ/大澤幹朗の競馬中継ココだけのハナシ
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大澤幹朗
1973年9月22日生まれ。千葉県出身。IBC岩手放送アナウンサー時代に岩手競馬のレース実況に携わり、メイセイオペラら名馬と出会う。2003年にフリー転身後、2006年よりグリーンチャンネル中央競馬中継キャスターに。2013年からは凱旋門賞など海外中継も担当。そのほか、WOWOWヨーロッパサッカー実況アナウンサーとしても活動中。