日曜日、中山競馬場では「産経賞オールカマー(G2)」が行われます。言わずもがな、秋の天皇賞など古馬のGI戦線へとつながる重要なステップレースですが、何故このレースが「オールカマー」という名前なのかは、若い人には案外と知られていないようです。
今年で68回目を数える「オールカマー」はJRA設立の1年後(1955年)に、サラブレッド、アングロアラブなどの品種や所属を問わず出走できることを目的に創設され、レース名は、参加者全員(all-comers)という意味から名付けられました。第1回の優勝馬は、菊花賞や天皇賞・春、それに中山グランプリ(有馬記念)第1回の優勝馬メイヂヒカリです。
第3回(1957年)のレースには、前走のセントライト記念でサラブレッド重賞を制したアングロアラブのセイユウが出走。アングロアラブは菊花賞に出走できないがための出走でしたが、同年の天皇賞馬キタノオー(1着)や、前年のダービー馬ハクチカラ(2着)ら当時の古馬最強クラスを相手に4着に終わりました。
やがて、グレード制の導入で1984年にG3に格付けされた「オールカマー」は、2年後に地方競馬招待競走となり、多くの公営の雄が出走してジャパンカップの地方馬枠を競う舞台となりました。中央・地方の交流が整備される前の話です。
地方馬招待初年の1986年は、大井、名古屋、荒尾から計5頭の地方馬が招待され、出走11頭の半数近くを占めました。レースを制したのは、ロングスパートを決めた名古屋のジュサブロー。他の地方馬は、大井記念連覇や東京大賞典勝ちの実績で1番人気に支持された大井のテツノカチドキが3着、同じく大井所属で、かつて岩手で18戦16勝2着2回という圧倒的な成績を残した3番人気のカウンテスアップは7着に終わりました。
オールカマーを制したもう1頭の地方馬は大井のジョージモナークです。大きな骨折を乗り越えた芦毛馬は、1991年、2着だった前年に続いてオールカマーに出走。前年のダービー3着(1着アイネスフウジン、2着メジロライアン)、菊花賞2着(1着メジロマックイーン)のホワイトストーンが1番人気。地方交流が整備されていなかった時代に、岩手と大井の移籍を繰り返しながら30戦23勝2着7回とパーフェクト連対を誇っていた、岩手競馬黄金期の雄・スイフトセイダイが2番人気。
ジョージモナークは6番人気の低評価でしたが、逃げるユキノサンライズを3コーナーから徐々に進出して捕らえたジョージモナークが、ホワイトストーンの猛追を凌いで勝利。タイム2分12秒4は2年前の同レースで平成の怪物オグリキャップが出したコースレコードタイ記録でした。
中央と地方の交流が整備された1995年以降、「オールカマー」は、地方馬出走枠は残すものの、その意味合いは大きく変わりました。今やほとんどのレースが「参加者全員(all-comers)」になりましたが、かつては「オールカマー」こそが唯一の「門戸開放レース」だったことを、そのレース名が教えてくれています。
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大澤幹朗
1973年9月22日生まれ。千葉県出身。IBC岩手放送アナウンサー時代に岩手競馬のレース実況に携わり、メイセイオペラら名馬と出会う。2003年にフリー転身後、2006年よりグリーンチャンネル中央競馬中継キャスターに。2013年からは凱旋門賞など海外中継も担当。そのほか、WOWOWヨーロッパサッカー実況アナウンサーとしても活動中。