中東のカタールで4年に1度のサッカーの祭典・ワールドカップが開幕しました。思えば、日本と韓国の共催だった2002年のワールドカップから20年の歳月が流れたことになります。2002年は個人的に人生の転機になった年なので感慨深いものがあります。
2002年の秋、競馬界では第2回のJBCが今年と同じく盛岡を舞台に行われました。岩手の地方局で局アナをしていた当時29歳の私は、勝利騎手の共同インタビューを担当し、JBCスプリントを勝ったスターリングローズの福永祐一騎手と、JBCクラシックを勝ったアドマイヤドンの藤田伸二騎手にマイクを向けました。翌年の春に退社してフリーになった私にとっては、岩手での最後の大きな仕事でした。
日本代表がロシア相手に稲本潤一のゴールでグループステージ2戦目を勝利した6月9日。この日の開催を最後に東京競馬場は馬場改修工事とスタンド工事に入りました。翌年春にリニューアルした馬場改修によりホームストレッチが延長され、各コーナーが緩やかになる、などした他、1階席からガラス越しに地下馬道を見ることができるようになりました。
2002年の東京競馬場改修工事中に行われた第22回ジャパンカップは、41回の歴史で唯一、東京競馬場以外で施行されたジャパンカップです。中山競馬場の芝2200mで行われたレースは、亀谷主宰の解説でも度々登場します。
1番人気は同じく中山で行われた前走の天皇賞・秋でGI初勝利を挙げた3歳馬のシンボリクリスエス。その天皇賞・秋で2着だったナリタトップロードが2番人気、前年の優勝馬ジャングルポケットが3番人気で続きました。
外国馬は、同年のディアヌ賞(仏オークス)とオペラ賞を勝っていたフランスの3歳牝馬ブライトスカイ。3走前にKジョージ6世&QエリザベスSを勝利し、前年の英2000ギニー以来のGIタイトルを手にした英国の4歳馬ゴーラン。同じく英国の4歳馬で前走の英チャンピオンSを勝利したストーミングホーム。ジャパンカップ3度目の出走となる香港の年度代表馬インディジェナス(1999年はスペシャルウィークの2着)など錚々たる顔ぶれでした。
レースは、関屋記念(連覇)、毎日王冠と重賞連勝中だったマグナーテン(岡部幸雄)が逃げ切りを図る中、中団から差してきたイタリアのGI馬ファルブラヴ(L.デットーリ)がこれを最後の急坂でとらえ、内から猛追してきた米国の5歳騙馬サラファン(C.ナカタニ)をハナ差、外から強襲したシンボリクリスエス(O.ペリエ)をクビ差制して勝利しました。
あれから20年。ジャパンカップで外国馬のワン・ツーフィニッシュは以降、1度もありません。東京競馬場に国際厩舎が完成し、諸外国同様に競馬場内で検疫が出来るようになった今年は、4頭の外国馬が出走する見込みですが、果たしてワールドカップイヤーのジャパンカップは、どんなレースになるでしょうか?
あれから20年/大澤幹朗の競馬中継ココだけのハナシ
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大澤幹朗
1973年9月22日生まれ。千葉県出身。IBC岩手放送アナウンサー時代に岩手競馬のレース実況に携わり、メイセイオペラら名馬と出会う。2003年にフリー転身後、2006年よりグリーンチャンネル中央競馬中継キャスターに。2013年からは凱旋門賞など海外中継も担当。そのほか、WOWOWヨーロッパサッカー実況アナウンサーとしても活動中。