28日、東京競馬場で第90回東京優駿(日本ダービー)が行われます。
記念すべき第1回の「東京優駿大競走」が行われたのは1932(昭和7)年。関係者の長きにわたる尽力により旧競馬法が1923(大正12)年に公布され馬券発売が可能になってから9年後のことでした。「日本ダービーの創設によって、15年間の馬券発売禁止で大きく疲弊した馬産地に活力を与えよう」という声が上がり、「日本競馬の父」安田伊左衛門がそれに応え、実現にこぎつけたのでした。
舞台は、安田が名誉会長を務める東京競馬倶楽部の目黒競馬場、芝2400m。馬主の競走馬購買意欲を高め、馬産地の復活を図ろうと、1着賞金は1万円、さらに賞品として1500円の金杯という空前の高額競走でした。4月24日。天候は雨、馬場状態は不良で行われた19頭立てのレースは、単勝1番人気に支持された函館孫作騎手騎乗、千葉・下総御料牧場生産のワカタカが勝利し、初代の日本ダービー馬となりました。
馬券発売の再開で賑わいを取り戻した目黒競馬場は、ダービーの創設でますますの活況を見せました。しかし一方で、拡大する競馬の規模に対し、競馬場は手狭になってきていました。また、目黒競馬場の敷地は8割以上が借地で、東京の発展に伴い借地料の高騰は避けられませんでした。第2回の「東京優駿大競走」は、岩手・小岩井農場生産で大久保房松騎手兼調教師の手によるカブトヤマが優勝しました。そして、このレースが行われた1933年春の開催を最後に、目黒競馬場は閉場することとなったのです。
目黒競馬場があった一帯は今は住宅地になっていて、目黒通り沿いの交差点「元競馬場」と、近くのバス停留所「元競馬場前」に、その名残を見ることができます。
また、停留所近くには1983(昭和58)年に日本ダービーが50回を迎えたのを記念して作られたトウルヌソルの馬像が立てられています。1935年から5年連続でわが国のチャンピオンサイアーに輝いたトウルヌソルは、ワカタカ、トクマサ、ヒサトモ(牝馬)、クモハタ、イエリユウ、クリフジ(牝馬)という6頭の日本ダービー馬を輩出しました。産駒のダービー6勝は、おととしディープインパクトが塗り替えるまで、サンデーサイレンスと並び最多でした。
かつてスタンドがあった目黒通りを背に住宅街を歩いていくと、当時のコースそのままにカーブしている道路が残っています。先行の根岸競馬場が右回りだったのに倣って目黒競馬場も右回りコースでしたが、なるほど確かに右にカーブしています。
ところで1933年に竣工した現在の東京競馬場は左回りコースですが、それまでの国内の競馬場は全て右回りでした。東京競馬場を左回りにしたのは、「右回りにすると直線が下り坂になる」「全ての競馬場で左回りを採用していたアメリカに倣った」などの説があるようですが、はっきりした経緯についての資料はないのだそうです。
日本ダービー当日の最終競走は今年もG2目黒記念が行われます。目黒記念は、競馬場移転決定後の1932年に第1回のレースが目黒競馬場で行われた、現存する最古の重賞競走です。また1983年までは春秋の年2回施行されていたことから今年で137回目という歴史を数え、その数を上回るのは天皇賞と中山大障害しかありません。
レース当日は、ダービー、そして目黒記念のファンファーレを、今はなき目黒競馬場に思いをはせながら聴くのもいいかもしれません。
2023/05/25 (木)
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大澤幹朗
1973年9月22日生まれ。千葉県出身。IBC岩手放送アナウンサー時代に岩手競馬のレース実況に携わり、メイセイオペラら名馬と出会う。2003年にフリー転身後、2006年よりグリーンチャンネル中央競馬中継キャスターに。2013年からは凱旋門賞など海外中継も担当。そのほか、WOWOWヨーロッパサッカー実況アナウンサーとしても活動中。