先月30日、存命のJRA重賞勝ち馬としては最高齢だったナイスネイチャが天国へ旅立ちました。アラフィフ世代の私にとっては、間違いなく競馬を大好きにさせてくれた1頭でした。
無敗で春2冠を制したトウカイテイオーの同期だったナイスネイチャ。1991年の4歳(現3歳)時、春のクラシックの出走は叶いませんでしたが、夏の小倉記念で古馬相手に勝利した「夏の上がり馬」でした。菊花賞トライアルの京都新聞杯も勝利し、菊花賞本番も期待されたものの4着。12月の鳴尾記念で重賞3勝目を挙げて向かった年末の有馬記念では、メジロマックイーンに次ぐ2番人気に支持されるものの、伏兵ダイユウサク、本命メジロマックイーンに次ぐ3着に終わりました。
持病の骨膜炎で翌1992年春は全休し、秋、毎日王冠で復帰すると3着。伏兵レッツゴーターキンが制した天皇賞・秋はトウカイテイオーに次ぐ2番人気に支持されたものの4着。初のマイル戦となったマイルチャンピオンシップでは、ダイタクヘリオス、シンコウラブリイ、ヤマニンゼファー、ムービースターといった強豪相手に3着。この辺りから「ん? 3着多いな」と思われ始め、年末、伏兵メジロパーマーが勝利した有馬記念で2年連続の3着となると、「ブロンズコレクター」のキャラクターが定着してきました。
当時は、複勝はあったものの、ワイドや3連複は無かった時代。「今度こそ」の判官びいきで馬連を買うと3着、ここぞとばかり単勝で勝負すると2着…と、競馬ファンの気持ちを翻弄するような戦績でした。
天皇賞・秋、ジャパンカップと大敗が続き、10番人気と、過去2年と比べると低評価だった1993年の有馬記念。トウカイテイオーがラストランで奇跡の復活を遂げた伝説のレースで3年連続の3着。「この時にワイドや3連複があれば…」と今でも思います。
ナイスネイチャのレースでもう一つ忘れられないのが1994年7月のG2高松宮杯。7歳(現6歳)になっていたナイスネイチャは、ウイニングチケット、スターバレリーナ、アイルトンシンボリ、マーベラスクラウンらを相手に5番人気ながら見事勝利。最後の直線でナイスネイチャが先頭に立った時、満員の中京競馬場から「勝っちゃうのか?」というどよめきが起こり、勝利が決まった瞬間、温かい大きな拍手が起きたのを今でも鮮明に覚えています。1991年の鳴尾記念以来、実に17戦、2年7か月ぶりの勝利でした。
1996年に引退し種牡馬生活を送っていたナイスネイチャは1999年、再び表舞台に登場しました。JRAが新たに発売を開始した「ワイド」馬券のキャンペーンキャラクターに起用されたのです。牧場でナイスネイチャが口に「ワイド」と書かれた紙を咥えた写真の隅に、有馬記念3年連続3着のプロフィールが添えられていたポスターは、個人的にJRAのポスター史上最高傑作だと思います。
ところで、有馬記念で2年連続で3着になった馬は、2006~07年のダイワメジャー、2008~09年のエアシェイディ、2010~11年のトゥザグローリー、2013~14年のゴールドシップ、2017~18年のシュヴァルグランと複数おり、最近では2017~19年にエリザベス女王杯で3年連続2着だったクロコスミアや、2021年から今年まで天皇賞・春3年連続2着のディープボンドにも、同じ「善戦マン」キャラを感じますが、30年経っても忘れないナイスネイチャの個性は特別でした。
高齢となった近年は引退馬支援のシンボルとなっていたナイスネイチャ。「ウマ娘」の効果で、募金活動「ナイスネイチャ バースデードネーション」の寄付金は、今年、過去最高額の約7400万円に達したといいます。
35歳44日という生涯馬齢は、JRAの重賞優勝馬では、2021年に36歳272日でこの世を去った共同通信杯勝ち馬マイネルダビテ、35歳102日まで生きた戦後初の三冠馬シンザンに次ぐ3番目の長寿記録です。ナイスネイチャの母・ウラカワミユキも36歳0日のサラブレッド繁殖牝馬史上最長寿だった馬で、長生きは母親から受け継いだものだったのでしょう。
現役時は記録よりも記憶に残る名馬だったナイスネイチャですが、最後は記憶にも記録にも残る名馬として旅立っていきました。
ナイスネイチャのハナシ/大澤幹朗の競馬中継ココだけのハナシ
- 09/21 (木) 1973年の競馬/大澤幹朗の競馬中継ココだけのハナシ
- 09/14 (木) 今さら聞けないセントライトのハナシ/大澤幹朗の競馬中継ココだけのハナシ
- 09/07 (木) ディープインパクトが父を超える日/大澤幹朗の競馬中継ココだけのハナシ
- 08/31 (木) 関東大震災と競馬/大澤幹朗の競馬中継ココだけのハナシ
- 08/24 (木) 夏休みの宿題(2) ~競馬計算ドリル~/大澤幹朗の競馬中継ココだけのハナシ

大澤幹朗
1973年9月22日生まれ。千葉県出身。IBC岩手放送アナウンサー時代に岩手競馬のレース実況に携わり、メイセイオペラら名馬と出会う。2003年にフリー転身後、2006年よりグリーンチャンネル中央競馬中継キャスターに。2013年からは凱旋門賞など海外中継も担当。そのほか、WOWOWヨーロッパサッカー実況アナウンサーとしても活動中。