今月20日、NAR(地方競馬全国協会)、JRAなど5団体から、2024年に「3歳ダート三冠競走」が創設されることなどが発表されました。ダート三冠は、羽田盃、東京ダービー、ジャパンダートダービー(10月上旬に移設し名称も変更予定)の3競走とのこと。開催場が全て大井であることなど、突っ込みどころは多いものの、2・3歳馬によるダート競馬の全日本的な競走体系が構築されることは喜ばしいことです。
ところで、以前にも全国的な「ダート三冠」が存在したことを覚えているでしょうか。1995年の中央・地方の「交流元年」直後の1996年から1998年まで、3年間だけ存在した「4歳(現3歳)ダート三冠競走」。4歳(現3歳)の秋に行われたJRAのG3・ユニコーンステークス(現在は6月に施行)、大井の統一G2・スーパーダートダービー(現在は廃止)、盛岡の統一G1・ダービーグランプリ(現在は地方競馬全国交流)の3競走で、これら全てを勝つと、ジャパンブリーダーズカップ協会からボーナスが与えられるというものでした。
そして1998年、「ダート三冠馬」に最も近づいた競走馬がいました。ウイングアローです。
スペシャルウィーク、エルコンドルパサー、グラスワンダーらと同じ「最強世代」のウイングアローは、4歳(現3歳)の1月にデビュー。初勝利まで3戦を要するなどしましたが、夏になると実力が開花。7月にキャリア9戦目となる名古屋優駿(現・東海ダービー)で初の交流重賞タイトルを手にすると、つづく旭川(2008年に閉場)のグランシャリオカップも制し、統一G3を連勝。秋は「ダート三冠」に挑みました。
ともに「ダート三冠」に合わせて創設された1冠目のユニコーンSと、2冠目のスーパーダートダービーを、ウイングアローは、いずれも2着馬に2馬身半差つけ快勝。いよいよ日本競馬史上初のダート三冠馬誕生に期待が高まりました。
春以降、主戦を務めるのは南井克巳騎手。4年前、ナリタブライアンでクラシック三冠を制している南井騎手には、芝・ダート双方での三冠制覇という偉業達成もかかりました。かくして、3冠目ダービーグランプリの当日を迎えたのです。
1998年11月23日、勤労感謝の日。当時、私は岩手放送の局アナでした。岩手県盛岡市は朝から雪。寒さの割に雪は多くない盛岡ですが、数年に一度、11月の下旬に“ドカ雪”が降ることがあり、「冬タイヤへの交換は11月上旬に」というのが常識でした。
この日の盛岡競馬場も朝から昼にかけて、みるみるうちに雪が強まり、お昼過ぎに行われた第5レースを最後に競馬は中止になりました。ダービーグランプリは第10レースに予定されていましたが、発走時刻の15時35分頃の盛岡競馬場は一面、銀世界でした。
ダート三冠創設3年目。初の三冠馬誕生にムードが高まる中で雪によるまさかの中止。ダービーグランプリは3週間後の12月14日、同じ岩手の水沢競馬場を舞台に行われることになったのです。
※続きは7/7(木)に公開予定です。
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大澤幹朗
1973年9月22日生まれ。千葉県出身。IBC岩手放送アナウンサー時代に岩手競馬のレース実況に携わり、メイセイオペラら名馬と出会う。2003年にフリー転身後、2006年よりグリーンチャンネル中央競馬中継キャスターに。2013年からは凱旋門賞など海外中継も担当。そのほか、WOWOWヨーロッパサッカー実況アナウンサーとしても活動中。