今年もフェブラリーステークスが近づいてきました。私の人生を変えたメイセイオペラの偉業達成から、もう23年も経ったことになります。1999年、GI昇格3年目のフェブラリーステークスを岩手・水沢競馬場所属馬として勝利したメイセイオペラ。地方所属馬の中央GI制覇は今もなお日本競馬史上唯一です。
1997年、私は局アナとして入社したIBC岩手放送で岩手競馬の中継を担当しメイセイオペラと出会いました。メイセイオペラは自身の持つポテンシャルを、その時代背景と関係者が見事に花開かせた名馬でした。
当時は、中央・地方競馬の交流が本格的にスタート。岩手競馬でも芝コースを併せ持つ新盛岡競馬場(オーロパーク)が完成し、マイルチャンピオンシップ南部杯やダービーグランプリが交流G1として行われるようになった時代でした。
また、競走馬のトレーニング施設が各地に出来はじめた時代でもあり、メイセイオペラもまた、坂路コースなどを持つ福島県のテンコー・トレーニングセンターで鍛錬を積みました。旧態依然のスタイルにとらわれず時代の流れのままに進んだ新時代の象徴、それがメイセイオペラだったと思います。
とにかく1998年夏以降のメイセイオペラの快進撃は、あっという間の出来事でした。今では自らの名前がレースの副題となっているマーキュリーカップでダートグレード競走を初勝利し、秋には地元の統一GIマイルCS南部杯を船橋の雄・アブクマポーロやJRAのタイキシャーロックらを相手に快勝。そして翌年の1999年1月31日、東京競馬場で行われた第16回フェブラリーステークスでの歴史的快挙につながるのです。
その日、私は自分のポケットマネーで岩手から東京競馬場に来ていました。勝つかわからない馬のために地方局はお金を出してくれませんでしたが、いつか役に立つかもしれないとJRAに撮影申請をし、当時、出始めだったデジタルビデオカメラを持ってパドックのカメラ席からメイセイオペラを撮影していました。
レースは人混みの隙間からしか見えず、菅原勲騎手の黄色の枠服が直線を先頭で駆け抜けたのだけは見えました。
「勝った!勝った!」
会社の先輩や同じく岩手から来ていた他局の人たちが顔を紅潮させながら駆け寄ってきました。競走馬の関係者ではないメディアの人間が抱き合って喜ぶのを見て、東京のメディアの人たちがもらい泣きしていました。
あんな瞬間は2度と立ち会えないでしょうし、20代の時に経験したあの日の思い出が、今日まで競馬中継のお仕事を長くやらせていただいている原動力になっています。フェブラリーステークスは私にとって大切なレースです。
メイセイオペラは2016年に韓国でこの世を去りました。先日、書斎を整理していたら懐かしい物が出てきました。統一GI優勝時や引退時にオーナーから岩手の限られたメディア関係者に配られた貴重な物ですので紹介させて下さい。
2022/02/17 (木)
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大澤幹朗
1973年9月22日生まれ。千葉県出身。IBC岩手放送アナウンサー時代に岩手競馬のレース実況に携わり、メイセイオペラら名馬と出会う。2003年にフリー転身後、2006年よりグリーンチャンネル中央競馬中継キャスターに。2013年からは凱旋門賞など海外中継も担当。そのほか、WOWOWヨーロッパサッカー実況アナウンサーとしても活動中。