24日、大井競馬場で羽田盃が行われます。
これまでは南関東三冠の1冠目として行われてきましたが、この度の全日本的ダート競走の体系整備に伴い、今年から中央・地方の枠を超えた3歳ダート三冠競走の1冠目となり「JpnI」に格付けされて行われます。
羽田盃は1956年に創設され今年で69回目を数える歴史ある競走です。創設当初は舞台の大井競馬場に由来する「大井盃」というレース名でしたが、1964年の第9回から「羽田盃」という現在の名称になりました。
「羽田盃」というレース名は、かつてあった地方競馬場「羽田競馬場」に由来しています。
1927(昭和2)年7月、現在の東京都大田区東粕谷に東京初の地方競馬場「羽田競馬場」が開設され競馬が行われました。ところが翌月に施行された地方競馬規則は同一府県内の開催競馬場は1か所に制限されたことから、競馬開催の権利をめぐって争奪戦が勃発。東京府内の馬匹畜産組合が集って新たに組織された「東京府馬匹畜産組合連合会」は、現在の東京都江東区新砂に新たな競馬場を建設することを決定し、同年秋と翌1928年春、「洲崎(江東)競馬場」で競馬が開催されました。
しかし、洲崎(江東)競馬場での競馬開催は大幅な赤字を計上したため2開催のみで打ち切りとなり、1928年秋の開催からは、再び羽田競馬場で競馬が行われることになりました。再開された羽田競馬は、事務所、入場券売場、投票所、景品交付所が改築されたほか、厩舎も増築。1931(昭和6)年まで合計7回の競馬開催は盛況のうちに行われました。
地代の値上げや施設が手狭になったことなどから、羽田競馬場は現在の羽田空港第3ターミナル(旧国際線ターミナル)付近に移転することになり、埋め立て、盛り土といった大規模な工事で新たな競馬場を建設。1932年から競馬が開催された新しい羽田競馬場は、1周1600m、幅員30mというサイズで、その広さは現在の大井競馬場と同規模というスケールでした。
1932年から1937年まで競馬が行われた羽田競馬場(上)と、ほぼ同じ場所の現在の羽田空港第3ターミナル付近(下)。「国土地理院ウェブサイト」より、1936年6月に陸軍が撮影したもの(画像上)と、2019年6月撮影の空撮写真(画像下)を編集・加工して掲載。
充実した施設となった羽田競馬場は地方競馬としては全国最高の売上を誇りました。しかし、国家総動員法に伴って制定された軍馬資源保護法によって地方競馬が馬券発売を認められた軍用保護馬鍛錬競走として行われることになったことから多くの地方競馬場が閉鎖することになり、羽田競馬場も1937年秋の開催を最後に閉場となりました。
今は世界中の国々に飛び立つ航空機のターミナルになっている場所に、今から90年ほど前、全国一の売上を記録する地方競馬場がありました。そんな羽田競馬場の存在を後世に伝える「羽田盃」。3歳ダート三冠の初戦に中央・地方の枠を超えて集った競走馬の中から、将来、世界に飛び立つ馬が出てくるかもしれません。
2024/04/18 (木)
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大澤幹朗
1973年9月22日生まれ。千葉県出身。IBC岩手放送アナウンサー時代に岩手競馬のレース実況に携わり、メイセイオペラら名馬と出会う。2003年にフリー転身後、2006年よりグリーンチャンネル中央競馬中継キャスターに。2013年からは凱旋門賞など海外中継も担当。そのほか、WOWOWヨーロッパサッカー実況アナウンサーとしても活動中。