競馬キャスター・大澤幹朗氏がお届けする、知れば競馬の奥深さがより味わえる連載『競馬キャスター大澤幹朗のココだけのハナシ』。今回のテーマは「馬の博物館」です。
28日、東京競馬場では根岸ステークスが行われます。
競走名の由来となった根岸(横浜)競馬場については、2年前にも当コラムで取り上げました。
▼2022/1/27公開
根岸競馬場のハナシ/大澤幹朗の競馬中継ココだけのハナシ
ところで、去年秋の天皇賞では11年ぶりの「天覧競馬」が実現しましたが、明治天皇は根岸競馬場に、なんと13回も行幸されています。
現在の天皇賞の前身である「エンペラーズカップ(帝室御賞典競走)」に賞品を下賜されるなど、馬匹改良のために競馬を奨励していた明治天皇ですが、根岸競馬場に何度も足を運ばれた背景には、居留外国人らが主催する競馬を観戦することで、幕末に諸外国と締結した不平等条約の改正につなげようという明治政府の思惑もありました。数多くの外国要人が集まっている根岸競馬場は「外交交渉の場」として、とても貴重だったのです。
そんな根岸競馬場を記念して跡地に整備された根岸競馬記念公苑(根岸森林公園)の敷地内にあるのが「馬の博物館」です。1977年に日本中央競馬会により建てられ、現在は公益財団法人馬事文化財団が運営しています。
馬と人との関わりに関する莫大な収蔵資料や、日本競馬のルーツと言っていい根岸競馬場に関する貴重な資料など、その展示物の数々は多岐にわたり、大人200円の入館料が信じられないほどの見応えです。
そして、馬の博物館が私のお気に入りスポットである最大の理由は、そのロケーション。馬の博物館の建物は、かつての根岸競馬場のバックストレッチ側にあり、現在は根岸森林公園の芝生広場になっているコース跡を挟んだ反対側に、遺構として現存している一等スタンドが見えるのです。
▲馬の博物館と一等スタンド
建物の周囲には、三井高義の作であるシンザンやトキノミノルの彫像を見ることができます。三井高義は、三井財閥の創業者一族・三井家の十一家のひとつ一本松町家の当主で、競走馬の作品を数多く残した彫刻家でした。
▲シンザン像(上)とトキノミノル像(下)
館内や庭を見て回った後は、丘を下って芝生広場に行ってみてください。競馬に興味がない人には広大な広場でしかないでしょうが、競馬を知る人にとっては違います。そこが日本初の近代洋式競馬場のコースだったことを考えると、その起伏の多さに驚愕するはずです。根岸競馬場がタフなコースであった証拠を、ご自身の目と足で確かめてみてください。春は桜の名所でもあります。
▲根岸森林公園の芝生広場
そして、芝生広場を越えたところにそびえる根岸競馬場の一等スタンドの遺構。95年前に建てられた当時最先端の鉄骨鉄筋コンクリート製のスタンドを間近にした時、きっと言葉では表せない不思議な感覚になるはずです。
▲根岸競馬場の一等スタンド
現在、フィナーレ展「うまはく所蔵優品選」が開催中の馬の博物館。収蔵資料の修復等のため、根岸ステークスが行われる28日を最後に長期の休館に入ってしまいます。残り数日。お時間がある方は、ぜひ一度訪れてみてください!