競馬キャスター・大澤幹朗氏がお届けする、知れば競馬の奥深さがより味わえる連載『競馬キャスター大澤幹朗のココだけのハナシ』。今回のテーマは「武彦七と武(たけ)家のハナシ」です。
3月15日は、武豊騎手の55歳の誕生日です。
最近は、引退調教師から最後の依頼を数多く受けたり、新規開業の福永祐一調教師の初陣を任されたりと、相変わらず話題に事欠かない“レジェンド”。今月末には、昨年末の有馬記念で感動のドラマを演出したドウデュースとのコンビでドバイ遠征も予定されており、その腕とバイタリティは、衰えることを知りません。
そこで今回は、そんな武豊騎手のお誕生日を記念して、“競馬界のレジェンド”を輩出した「武(たけ)家」のルーツについて取り上げます。
「武(たけ)家の人々」と聞いて多くの方が思い浮かべるのは、弟の武幸四郎調教師、父の武邦彦さん、武豊騎手の妻・量子さん、あとは、先日のフェブラリーSをペプチドナイルで制し、初のGIタイトルを獲得した武英智調教師も親戚関係・・・といったところではないかと思います。
まず、武豊&幸四郎兄弟と武英智調教師とは、はとこ(再従兄弟)の関係になります。武豊&幸四郎兄弟の父・武邦彦さんと、武英智調教師の父・武永祥(ながよし)元騎手が従兄弟(いとこ)で、祖父が同じ。つまり、武豊&幸四郎兄弟と、武英智調教師は、曾祖父が一緒です。
その曾祖父の名は、武彦七。日本における西洋馬術の始祖とされる函館大経からフランス馬術を学んで名手となり、自らも多くの騎手や調教師を育てた人物です。武彦七の父・園田彦右衛門は武家から出た薩摩藩士で、彦七は園田家から武(たけ)家へ養子として戻ったかたちでした。
そんな武彦七の実兄(園田彦右衛門の長男)は、薩摩から開拓使として北海道函館に渡り、実業家・政治家として活躍した園田実徳です。一方で、園田実徳は、1900年に発足した北海道共同競馬会社の発起人の一人として名を連ねたり、目黒競馬場を開設・運営した日本競馬会の会長を務めるなど、日本の近代競馬黎明期の有力者でもありました。ちなみに、園田実徳の長女・のぶ子は、西郷隆盛の息子・西郷寅太郎に嫁いでいます。
兄・園田実徳とともに北海道函館に渡った弟の武彦七は、北海道共同競馬会社が設立した函館競馬会の運営に携わったほか、兄が北海道庁からの払い下げを受けて創業した園田牧場の経営を任されました。
武彦七には7人の子がいて、園田牧場は長男の芳彦が継ぎました。また、三男・輔彦は、調教師として桜花賞・菊花賞のクラシック二冠を制したブラウニーや宝塚記念優勝馬ホマレーヒロを手掛け、四男・平三も騎手・調教師、五男・富三も尾形藤吉門下の騎手でした。
園田牧場を継いだ長男・芳彦は、戦後、北海道馬主協会の理事を務めるなどした北海道競馬界の有力者でした。芳彦の三男として園田牧場で生まれたのが、武豊&幸四郎兄弟の父・邦彦さん。園田牧場は、邦彦さんが4歳の時、戦後の農地改革に伴って取り潰されてしまいました。
「名人」「ターフの魔術師」と呼ばれた武邦彦さんがジョッキーとなったのは、騎手から調教師に転じていた叔父・武平三(彦七の四男)からの誘いがあったからでした。平三の長男(武邦彦さんのいとこ)は、武宏平・元調教師。2009年の菊花賞馬スリーロールスらを管理しました(2014年引退)。
一方、平三の三男は、元騎手の武永祥(ながよし)さん。前述のとおり、永祥さんの長男が、ペプチドナイルやメイケイエールの武英智調教師です。また、平三の長女・由美さんは、藤岡佑介騎手の師匠で、2020年に引退した作田誠二・元調教師の奥様でもあります。
55歳の誕生日を迎える“競馬界のレジェンド”武豊騎手。そのルーツは薩摩藩士に遡る「武(たけ)家」とは、まさに競馬の歴史そのものと言っていい「競馬一族」なのです。
▲武(たけ)家 家系図(敬称略)