競馬キャスター・大澤幹朗氏がお届けする、知れば競馬の奥深さがより味わえる連載『競馬キャスター大澤幹朗のココだけのハナシ』。
今回のテーマは「アメリカジョッキークラブって何だ?」です。
日曜日、中山競馬場ではアメリカジョッキークラブカップ(GII)が行われます。
AJCC、アメリカJCC、AJC杯などと縮められて呼ばれることも多いレースですが、競馬ファンなら「古馬による中山競馬場・芝2200mの重賞」とすぐに答えられることでしょう。でも、その長いレース名になっている「アメリカジョッキークラブ」って、一体、何なのでしょうか?
日本では江戸時代中期にあたる18世紀後半、イギリスで、後検量や騎手の服飾などの制度・規則を確立し、競走記録や血統書の整理を行うなど、競馬のあらゆる業務を統括する「ジョッキークラブ」が組織されました。
一方、植民地時代に英国から競馬が持ち込まれたアメリカでも、競馬人気の高まりに伴い、1735年にサウスカロライナ州チャールストンでアメリカ初のジョッキークラブが組織され、競馬のルール作りが行われました。その後も各州でいくつかのジョッキークラブが作られましたが、あくまでも地域単位の組織でした。
1865年、ニューヨーク州で全国的な統括組織を目指した「アメリカン・ジョッキークラブ」が発足しました。発足にあたって中心となったのはレナード・ジェロームとオーガスト・ベルモント。それぞれジェロームステークスとベルモントステークスに名を残す2人でした。
その後、1894年に当時の大馬主たちが集まって新たな「アメリカン・ジョッキークラブ」が設立され競馬のルールを制定。ニューヨーク州裁判所からこのルールがニューヨーク州のすべての競馬場に適用されるというお墨付きを得て、全米の競馬場もこれに倣うことになり、アメリカ競馬全体を統括することになりました。
しかし、1929年の世界恐慌でアメリカ経済が窮地に陥っていた頃、フランクリン・ルーズベルト大統領は政府の競馬規制に対する圧力を強め、各州に競馬委員会を設立。ジョッキークラブの権限の一部を委譲させ、この結果ジョッキークラブは全国的な支配力を持つ組織ではなくなりました。有名なシービスケットとウォーアドミラルのマッチレースが行われた頃のことです。
第二次世界大戦後の1951年には、それまでジョッキークラブに与えられていた権限が裁判で覆され、各権利はそれぞれの州の競馬委員会に譲渡されました。その権限のほとんどを喪失したジョッキークラブは以降、血統書の管理や競走馬登録の管理などを行う組織となりました。
その頃、有馬頼寧が日本中央競馬会の2代目理事長に就いた日本では1955年、英国ジョッキークラブにより日本中央競馬会の「競馬国際協定」加入が承認されました。正式には「規則違反者に課した制裁の相互実施を目的として、英国ジョッキークラブと結んだ協定」というもので、日本競馬が国際競馬社会の一員に加わった瞬間でした。
3年後には、アメリカの州競馬委員会全国協会(NASRC)から招請され、フロリダで行われたNASRCの総会に日本中央競馬会から3名が出席しました。また翌1959年には酒井忠正理事長らがニューヨークで行われたNASRC総会に出席。その際、ニューヨークのジョッキークラブ幹部との話し合いで「競馬を通じて日米の友好親善をはかる」との趣旨で、同クラブから記念カップが贈られることになったのです。
そして日本中央競馬会は、寄贈されたカップを賞品として重賞「アメリカジョッキークラブカップ」を新設することにしました。日本のレースに外国から賞杯が贈られるのは初めてのことでした。
第1回のアメリカJCCは1960年の新年を飾る競走として1月5日、中山競馬場の芝2000mで施行されました。ハンデ戦として行われたレースは、二本柳俊夫調教師が管理し、蛯名武五郎騎手が騎乗したオンワードベルが勝利。1~6着までが0.1秒差に収まるという大接戦でした。
来日したニューヨーク・ジョッキークラブのマーシャル・キャシディ事務総長は、優勝馬主の樫山純三氏に寄贈者自ら賞品を授与しました。オンワード樫山の創業者として知られる樫山純三氏は、ハードツービートでジョッケクルブ賞(フランスダービー)を制し日本人で初めて欧州のクラシック競走を制したオーナーブリーダーです。
なおアメリカJCCは、翌年から当時1月中旬に行われていた金杯(現・中山金杯)と施行時期を入れ替え、負担重量も別定に変更されています。
さて、アメリカから寄贈された賞杯のレースならば、アメリカで主流の「ダート」で行われた方がしっくりくるのに・・・と、ふと思います。しかし、日本中央競馬会がダートコースを初めて東京競馬場に設置したのが第1回アメリカJCCが行われたのと同じ1960年で、各競馬場にも順次ダートコースが設けられたのは、それよりも後のことでした。
今年で66回目を数える「アメリカジョッキークラブカップ」は、それほど歴史の古い重賞なのです。