今年2023年は、1923(大正12)年に旧競馬法が制定されてから100周年を迎えました。
旧競馬法については、これまでも、1年前に投稿した「安田伊左衛門のハナシ」や前々回の「目黒競馬場と東京優駿・前編」でも触れてきましたが、いま一度、この100年前の法律にフォーカスします。
▼参考記事
安田伊左衛門のハナシ/大澤幹朗の競馬中継ココだけのハナシ
目黒競馬場と東京優駿・前編/大澤幹朗の競馬中継ココだけのハナシ
20世紀初頭の日本では、日清・日露戦争を受けての馬匹改良の必要性から、明治政府からの認可を受けた全国各地の競馬倶楽部が馬券発売を黙許され競馬を開催していました。しかし、いわゆる八百長といった不正や、払い戻しの不手際による暴動騒ぎといった不祥事が頻発。また、馬券1枚の値段が、当時の公務員の初任給の1/10に相当する5円(後に1枚10円)と庶民には手が出せなかったことから、新聞を中心に競馬排斥論が高まり、1908(明治41)年10月、新刑法の施行に合わせて馬券発売の禁止が発せられました。
馬匹改良計画継続のため、競馬の存続自体は必要だった政府は各競馬倶楽部に補助金を支出しましたが、馬券による売得金と比べれば微々たるものでした。また、馬券のない競馬場の観客席は閑古鳥が鳴いていたため、入場者に勝ち馬を予想し的中者に景品を付与する「景品競馬」が行われました。この時に発売したものは「勝馬投票券」と呼ばれ、これが現在の馬券の正式名称になったのだそうです。
馬券発売禁止直後から競馬関係者は馬券復活のための運動を開始。東京競馬倶楽部の安田伊左衛門もそのひとりでした。
1909(明治42)年に競馬法案を国会に提出しましたが、衆議院では可決されたものの貴族院で否決。安田伊左衛門は1912(明治45)年に衆議院議員に当選し、1917(大正6)年1月までの在任中、馬政局を管轄する陸軍大臣ら関係者への陳情を行い、1919(大正8)年の馬政委員会設置などに尽力しました。
馬政委員会は、条件付きで「馬匹改良のためには競馬法を制定して馬券の発売を許可することはやむを得ない」という答申を陸軍大臣に提出。これを受け、馬政局と司法省は競馬法制定に取り組み、ついに今から100年前の1923(大正12)3月24日に法案は可決され、4月10日に公布、7月1日に施行されました。これにより、15年におよぶ馬券発売禁止期間を切り抜けた11の競馬倶楽部は、馬券の発売を再開。同年9月の関東大震災や1930年代の世界恐慌に見舞われながらも、順調に成長をとげました。
100年前の競馬法は、戦後の1948(昭和23)年に制定された現行の競馬法とはさまざまな違いがありました。
例えば開催日数について。現行の競馬法施行規則では、一つの競馬場当たりの年間開催回数は5回(天災や他場の改修に伴う開催は除く)、全競馬場合計の年間開催回数は36回、1回の開催日数は12日(代替競馬などの例外あり)、1日の競走回数は12回と定められていて、今年の開催日数は288日です。
一方、100年前の旧競馬法では、各競馬場の開催は年2回までで、1回の開催は4日以内と定めており、開催日数は原則最大8日。1924(大正13)年の年間開催日数はわずか66日しかなかったそうです。
また、1競走につき馬券は1人1枚、最高20円。払戻金は券面金額の10倍まで。当初の馬券の券種は単勝式のみでした。旧競馬法は、昭和以降に何度か改正され、1回の開催日数は「4日→6日→8日」と改められたほか、券種は1931年に複勝式が導入されるなどしました。
「もしも今、馬券の発売が禁止されたとしたら…」
想像しただけでもゾッとします。こうして馬券を買って競馬を楽しめるようになったのも、100年前、競馬の法制化を進め、馬券発売を復活させた関係者の尽力があったからです。そして、その象徴である「日本競馬の父」安田伊左衛門の功績を讃え創設された「安田記念」は、今年「競馬法100周年記念」として行われます。
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大澤幹朗
1973年9月22日生まれ。千葉県出身。IBC岩手放送アナウンサー時代に岩手競馬のレース実況に携わり、メイセイオペラら名馬と出会う。2003年にフリー転身後、2006年よりグリーンチャンネル中央競馬中継キャスターに。2013年からは凱旋門賞など海外中継も担当。そのほか、WOWOWヨーロッパサッカー実況アナウンサーとしても活動中。