競馬キャスター・大澤幹朗氏がお届けする、知れば競馬の奥深さがより味わえる連載『競馬キャスター大澤幹朗のココだけのハナシ』。今回のテーマは「地方馬が挑むフェブラリーステークス」です。
18日、東京競馬場で2024年のJRA最初のGIレース、フェブラリーステークスが行われます。
英国に範をとって発展してきた日本の競馬は、芝コースでのレースがその中心でしたが、1960年、日本中央競馬会は冬季の芝コース保護を目的に、アメリカで広く普及しているダートコースを東京競馬場に設置。これを皮切りに、各競馬場にダートコースが設けられ、年々ダート競馬の占める割合は増加しました。
一方、戦後、地方財政の改善を目的に始まった地方競馬も、技術的、資金的理由からダートコースを中心に行われてきました。
なお、中央競馬がダートコースを導入した当初は、アメリカを参考にして土主体のコースでしたが、水捌けの悪い土主体のダートコースは雨の多い日本の気候条件下では使用に耐えず、水捌けのよい現在のような砂主体のコースに置き換わったという背景があります。
フェブラリーステークスは1984年のグレード制導入時に『フェブラリーハンデキャップ』としてウインターS(東海Sの前身)とともに誕生したJRAで最も古いダート重賞競走で、1994年にGIIの別定戦『フェブラリーステークス』となり、1997年の中央・地方の交流競走の拡大に伴いJRA初のダートGIに格上げされました。
GI昇格3年目の1999年には、岩手・水沢競馬場所属のメイセイオペラが優勝。地方所属馬の中央GI制覇は今もなお日本競馬史上唯一です。(2022.2.17公開「メイセイオペラの思い出」参照)
あの快挙から25年・・・。
中央・地方競馬の交流が本格的にスタートした時代から四半世紀の時が流れ、今、地方競馬が主体となってダート競走の体系を整備することを目的に「全日本的なダート競走の体系整備」がなされています。
ダート競馬の歴史の転換点となる年に行われる今年のフェブラリーステークスには、昨年、無敗で南関東三冠を制したミックファイア(牡4歳、大井・渡辺和雄厩舎)、2年連続の参戦(昨年は6着)となるスピーディキック(牝5歳、浦和・藤原智行厩舎)、昨年のJBCスプリント(大井)を含むダート交流重賞4勝を挙げているイグナイター(牡6歳、兵庫・新子雅司厩舎)の3頭の地方競馬所属馬が参戦します。
フェブラリーステークスに地方所属馬が3頭出走するのは6回目。
1997年(高崎・マリンオーシャン、大井・アカネタリヤ、浦和・エフテーサッチ)
2000年(岩手・メイセイオペラ、船橋・アローセプテンバー、大井・オリオンザサンクス)
2004年(笠松・ミツアキタービン、船橋・トーシンブリザード、大井・ハタノアドニス)
2008年(川崎・アンバサンド、大井・フジノウェーブ、大井・ビッググラス)
2020年(大井・モジアナフレイバー、大井・ノンコノユメ、船橋・ミューチャリー)
と並んで最多タイの頭数です。
これまで、延べ31頭の地方競馬所属馬がフェブラリーステークスに出走。馬券に絡んだのは25年前の優勝馬・メイセイオペラと、2002年の2着馬トーシンブリザード、2011年の2着馬フリオーソの3頭だけ。12年間、馬券になっていないというのが現状です。
翌週のサウジカップに、レモンポップ、ウシュバテソーロ、デルマソトガケ、クラウンプライド、メイショウハリオという、現在の日本のダート競馬を牽引するJRAのトップホースたちが挙って参戦するため、地方所属馬が勝利、あるいは上位に入るチャンスは、例年以上にあると言っていいかもしれません。
四半世紀前に私が体験した「歓喜の瞬間」は訪れるのか。秘かな期待を胸に、レースを楽しもうと思います。