競馬キャスター・大澤幹朗氏がお届けする、知れば競馬の奥深さがより味わえる連載『競馬キャスター大澤幹朗のココだけのハナシ』。
今回のテーマは「旧根岸競馬場一等馬見所、横浜市の歴史的建造物に認定」について。
2日に行われた根岸ステークスは5歳馬コスタノヴァが4馬身差の圧勝。東京コースは5戦5勝となり、次走は23日のフェブラリーステークスに参戦することになりました。
根岸ステークスの競走名の由来である根岸競馬場について当コラムでは、これまで2回取り上げています。
▼2022/1/27公開
根岸競馬場のハナシ
▼2024/1/25公開
馬の博物館
先日、根岸競馬場の跡地に今も残る一等馬見所(スタンド)について、とても喜ばしい発表がありました。「旧根岸競馬場一等馬見所」が横浜市の歴史的建造物として認定されたのです。
「横浜市認定歴史的建造物」は、横浜の個性と魅力を感じるまちづくりを展開するために、特に価値が高いとして認められた建造物で、認定されると保全する上での必要な改修等に対して助成が受けられるようになります。
1866年に建設された横浜(根岸)競馬場は、第二次世界大戦が激化した1943年に海軍省に接収され76年の歴史に終止符を打ちました。戦後、今度は連合軍が占領。走路は軍用車両の駐車場、馬場内はゴルフ場として使われました。
一方、関東大震災後に建設された一等・二等馬見所(スタンド)は初め印刷所として使われ、のちに米軍が管理する根岸住宅地区の管理事務所になりました。
日本競馬会、国営競馬、日本中央競馬会と競馬組織が移行する中、横浜(根岸)競馬場の接収解除は遅々として進みませんでしたが、1969年11月24日、日米合同委員会で返還が決定。大部分は横浜市の公園用地になり、一部は日本中央競馬会が取得して、根岸森林公園、馬の博物館・ポニーセンター(休業中)となりました。
また、一等・二等馬見所(スタンド)とパドックは、馬場よりも遅れて1981年に接収が解除されました。しかし、米軍の敷地が見渡せる眺望が問題視されて活用計画が立てられず、二等スタンドとパドックは1988年に老朽化のため解体。遺構として唯一現存する一等スタンドも建物の周囲を囲うなど最低限の管理が行われているのみで、建物は返還以来ほとんど手つかずのまま放置され、立入禁止となっていました。
そんな中で発表された「旧根岸競馬場一等馬見所」の横浜市歴史的建造物の認定。
横浜市は、
(1)国内初の本格的近代競馬場であり横浜開港当時の様々な外国由来のスポーツ文化を象徴する施設であること
(2)日本初の鉄骨鉄筋コンクリート造かつ国内に唯一現存する戦前の競馬観覧スタンドであること
(3)高台に立地するランドマークであり、一帯が競馬場であったことを伝えてくれること
という理由から高い価値があると評価し、今回の認定となったということです。
▲根岸競馬場一等馬見所と横浜ランドマークタワー
横浜市は今後、耐震化を推進し、歴史的建造物ならではの魅力を活かせるよう、一等馬見所(スタンド)が完成した1929年から100年となる4年後を目途に、立ち入り禁止となっている建物の一般開放を目指すといいます。
日本初の三冠馬・セントライトが勝利したクラシック一冠目「横浜農林省賞典四歳呼馬」(現在の皐月賞)も観ていた一等馬見所(スタンド)。その老朽化は限界に近づいており大変心配していましたが、今回の発表は何よりの朗報でした。
100年の時を超えて・・・。私たちがその中に立ち入ることができる日がやってきます。
▲モーガン広場の案内板(1)「根岸競馬場観覧席全景」
▲モーガン広場の案内板(2)「根岸競馬場観覧席内部」