競馬キャスター・大澤幹朗氏がお届けする、知れば競馬の奥深さがより味わえる連載『競馬キャスター大澤幹朗のココだけのハナシ』。
今回のテーマは「1992年、1着同着の帝王賞」について。
7月2日、大井競馬場で第48回 帝王賞(JpnI)が行われます。
帝王賞は1978年に大井競馬場2800mの重賞として創設されました。中央競馬招待となった1986年からは2000m戦となり、施行時期は当初4月でしたが、1996年以降は6月後半に定着してきました。日程の関係で今年は7月に行われますが、これはレース史上初めてです。
ダート競馬の上半期を締め括る大一番・帝王賞。その歴史の中で、優勝馬が2頭誕生する「1着同着」のレースがあったことをご存知でしょうか。
それは1992年の第15回帝王賞。1994年にトゥインクルレース(ナイター競馬)が始まる2年前。1995年の中央・地方交流元年を経て1997年に帝王賞が統一GIに格付けされる5年前のことでした。
まだJRAにはダートの重賞がGⅢの「フェブラリーハンデキャップ」と「ウインターステークス」の2レースしかなかった時代。当時、ダート競馬においては中央よりも地方、とりわけ大井勢に分がありました。実際、1986年に中央勢の出走が可能になって以降、帝王賞を勝利した中央馬は1990年のオサイチブレベスト1頭のみでした。
16頭立てとなった1992年の帝王賞も上位人気馬は大井勢が名を連ねました(馬齢は現在の表記に合わせます)。
1番人気は大井の7歳馬ダイコウガルダン。北関東、東海、上山と渡り歩いて活躍後、5歳時に移籍した大井でも重賞タイトルを次々と獲得。6歳の時に今度は中央に移籍しますが結果が出ず、再び大井に転入していました。帝王賞は1番人気に支持され5着に終わった2年前以来の出走で、鞍上は早田秀治騎手でした。
2番人気は同じく大井の4歳馬ハシルショウグン。「ハイセイコー以来の逸材」と期待されるも骨折で3歳春を全休。復帰すると南関東三冠の最終戦・東京王冠賞をデビュー6連勝で制しました。のちにオールカマーやジャパンCに2年連続で出走し2年目のオールカマーではライスシャワーらに先着してツインターボの2着に入ったレジェンド。帝王賞は翌年に制するのですが、当時は古馬の壁にぶつかり連敗中でした。鞍上は的場文男騎手。
一方、これらに挑む中央勢は3頭がエントリーしていました。
このうち単勝3番人気に支持されていたのは大久保洋吉厩舎の4歳馬ラシアンゴールド。前年暮れのウインターSで格上挑戦ながら3着と好走すると、この年は2月の金蹄SからフェブラリーH、前走の京葉Sまで3連勝中でした。鞍上はラシアンゴールドでのフェブラリーHが重賞初勝利だったデビュー6年目の蛯名正義騎手。
栗東・中尾謙太郎厩舎の5歳馬ナリタハヤブサは6番人気。蹄が脆かったため芝からダートに転向すると、3歳暮れのウインターS、明け4歳初戦のフェブラリーHと、いずれもレコードで重賞連勝。1991年度のJRA最優秀ダートホースに選ばれました。帝王賞は前年(4着)につづく出走でしたが、この年は、いずれも60㎏を背負わされたフェブラリーHと仁川Sで連敗していたことから評価を下げていました。鞍上は横山典弘騎手。
さらに前年のウインターSがナリタハヤブサの2着、前走のフェブラリーHがラシアンゴールドの2着だった6歳馬マンジュデンカブト(山田和広騎手)が7番人気でした。
レースは好位を進んだJRAのラシアンゴールドが3コーナーから仕掛け、前を行く佐々木竹見騎手のスルガスペインや1番人気のダイコウガルダンらを残り100mで捉えて先頭に立ちます。これに大外から強襲してきたのが中団で脚を溜めていた同じJRAのナリタハヤブサ。最後は内外離れた2頭が全く並んでゴールしました。結果は「1着同着」。この年の帝王賞は2頭の優勝馬が誕生したのでした。
さて、お気づきでしょうか――。
ラシアンゴールドとナリタハヤブサ。2頭の中央馬が同着で帝王賞を制したわけですが、この2頭に乗っていたのは蛯名正義騎手と横山典弘騎手。この2人は18年後の2010年の優駿牝馬で、それぞれアパパネ(蛯名正義騎手)とサンテミリオン(横山典弘騎手)に騎乗してJRAのGI史上唯一の「1着同着」を演じているのです。
GI昇格前のダート競馬の大一番と中央競馬のクラシック競走で実現した2つの「1着同着」が同じ騎手2人の組み合わせとは…。競馬の世界では不思議なことが起こるものです。